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サステナビリティ通信 【 サバイバル・センサー 】

千葉県、福井県等において、未曾有の豪雨によって被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

温暖化が地球上の「水循環」を大きく狂わせ、昨年以来、スイスやネパールでは氷河が広範にわたって瓦解し、大量の土石流が下流域を襲いました。変化を察知できなかったネパールと中国の国境地帯では、数千人もの犠牲者が出てしまいました。地球温暖化がこのような急激な変化をもたらし、大被害を生むことは私も想像できずにいましたし、温暖化がジェット気流を大きく蛇行させ、欧州や北米で40度を超す熱波を引き起こすメカニズムも、理論上のシミュレーションの段階から、頻発する気象災害となってしまいました。

人間には古来、様々な危機予知能力=リスク・センサーが備わっており、多くのリスクを予見して回避してきました。人類の発展はリスク・センサーの賜物だったはずです。今回は、そのリスク・センサーについて少々考えてみたいと思います。

実は日本は様々なセンサー装置の世界市場で、半分近い市場占有率を維持してきました。工業用センサーは様々な機器に搭載され、製造現場では機械を制御し、社会インフラの大半を作動させ守っています。こうしたセンサーの開発や製造に日本人が強みを発揮してきた背景には、私たちが四季折々の変化を敏感に察知し、適応してきたという環境要因が大きかったのではないかと推察します。

私たちの知覚には、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の「五感」だけではなく、それらを超える感覚やひらめき、すなわち「第6感」というものがあると言われています。「いやな予感」や「殺気」、「ベテラン刑事の勘」など、数値化しにくい感知力によってリスクを判断し、行動を変える能力があるのです。生きるために研ぎ澄まされてきた、微細な変化への察知能力です。他の生き物以上に温度、湿度、気圧、風速など豊富で繊細なセンサーが身体中に埋め込まれているのが人類の特徴のひとつですが、昨今は、どうもそれが退化しているのではと思うことがあります。

今回の千葉県の豪雨でも、冠水した道路に2,700台もの自動車が乗り入れてしまい、排気口などから浸水して走行不能に陥りました。道路の僅かな傾斜は車の中からでは気付きにくく、数十メートルで水位が危険なほど上がる場合でも、水面は真っ平らなので、深みにはまりつつも、危険を認識しにくかったのでしょうか。

他に動力源を持たない自転車では、たとえ僅かな傾斜であっても、ペダルを漕ぐ足に負荷が直接掛かりますので、敏感に勾配を認知できます。緩やかな下り坂でも、ブレーキ・レバーを握る力で勾配の大きさを凡そ認知できます。それに比べれば、自動車はアクセルやブレーキを踏む力の数百倍の推進力や制動力を生み出すので、僅かな勾配を認知しづらいのだと言えます。

人間の嗅覚や味覚センサーは、食物の異常や腐敗も感知します。最近では消費期限以前の、「賞味期限」を記載する商品が多く、こうした異常に気付くチャンスそのものが失われています。温度計や湿度計では全く同じ環境でも、人は僅かな空気の流れや、差し込む日光によっても感じ方が変わるほど、様々な要因を総合的に判断する能力があるのです。

しかし私たちが文明の生んだ便利さに慣れ過ぎて、自らのセンサーを使う習慣を捨て去れば、その感度はやがて鈍ってしまうでしょう。腐ったものをうっかり食べ、吐いたり、腹痛を経験しなければ、学習機会は失われ、臭いや酸味をリスクと認識できなくなるでしょう。こうしたセンサー機能の回復に向け、自然の中でキャンプをしたり、スマホを切ってデジタル・デトックスする人も出てきています。

人間には社会的なリスク・センサーも、学習によって体得され、研ぎ澄まされてゆきます。日本人はよく、場の「空気」に左右されやすいと言われます。実際に海外で暮らしてみると、自分の考えを明確に言葉で伝えないと無視されたり、誤解されることが多々ありました。駐在員の多くがその洗礼を受け、仲間として認められるまで苦労が続きます。

同様に、家庭のなかで理不尽な体験を全くしていなければ、実際に理不尽なことだらけの世の中に出たときに、小さなトラブルで傷ついたり、心が折れてしまうのも理解できます。親が子供の要求に何でも応え、リスクを片っ端から排除してしまうと、親が不在になったときに、リスクに気づかず、被害を被ることにもなりかねません。昔から「かわいい子には旅をさせろ」という諺がありますが、若いうちに様々な体験や、大事に至らない程度の苦労を経験することで、耐性や柔軟性、復興力(レジリエンス)が養われるのだと思います。

これからの自動車に、メーカーは「勾配センサー」や「降雨量予測センサー」を搭載し、数十メートル先の水深まで予測できるように改良するのでしょうか。住宅メーカーは、豪雨の際に家屋丸ごと持ち上げるような「水難防止装置」を、低地の住宅や公共施設、避難所に装備するのでしょうか。技術的に可能となる多くの被害防止策の中で、どのような察知能力を人間が担い、何を自動化すべきかは、私たちの生存力を維持するうえで大変重要なテーマです。

そういう観点からか、「情報過多社会」の中で、子供たちがSNSに汚染される前に、利用を法的に制限しようという動きが世界中で進んでいます。

オーストラリアは昨年末、世界で初めて16歳未満のSNS利用を禁止し、今年の春以降はインドネシア、イギリス、スペインなどでも年齢制限を開始。フランスでは15歳未満の利用を禁止する法案が本年7月に可決されました(憲法審議会で異議が出て施行は延期中)。米国では連邦レベルの統一法は未だ無いものの、フロリダ州等で14歳未満はSNSアカウントを作れなくしました。どの国でも対応義務は、子供や親ではなく、サービス提供企業に対して課しています。厳格な年齢確認を義務付け、不履行の場合には莫大な制裁金を科す仕組みであり、企業の社会的責任を問う内容になっています。日本では未だに年齢による利用制限はなく、SNS事業者の自主規制に留まっています。

AIについても、利便性への理解は進む一方で、規制やルールが全くない中でのリスク、倫理面や、表現の自由との関係等についての議論はまだ始まったばかりであり、法整備はいつも技術的進歩を後追いする状態です。

世の中が大きく変化してゆく中で、私たちには常に変化を察知し、その影響を予見し、優先順位を決め、多様なオプションの中から取捨選択しなければなりません。それは変化に追従しながら決めるのではなく、この先どのような変化が起き、自分たちはどのような社会や環境を求めるかという議論を先行させなければ、いつも場当たり的な判断になり、リスクが発現してから対症療法的な処置を繰り返すことになります。

サステナビリティ経営とはこうしたReactive(対処型)な経営から、Proactive(変化を予見して目指す社会像に誘導してゆく)事業運営に変えてゆくことを意味します。それでも突然の変化に対応しきれないこともあるでしょうし、予測した変化が直ぐには起きず、取り越し苦労に終わることもあるでしょう。しかし先を見通し、どのように社員を巻き込み、技術を用いて自分たちの理想とする社会に近づけてゆくかという問いに向き合い、格闘し続けるからこそ、社会は前進してゆきます。私たちは決して歴史の傍観者にならず、自らに与えられた一隅で、歴史を創ってゆきたいものです。

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